岩田書院15周年+1年

Dvc10001 岩田書院は、昨年、創立15周年を迎え、
今年の6月まで、15周年記念年でした。
編集・出版・広告・販売・経理とすべてを
社長自らが行い、出版点数はついに500冊を超え、
ISBNナンバーが500に到達したのが昨年3月の「死者のゆくえ」、
15周年記念年最後の今年5月の「水損史料を救う」は564です。

――どんな15年でした?
「長いような短いような。
最初の10年間は短かったように思いますが、
10年~15年は、長かったですね。
2006年には62冊出しました。

それまで勤めていた名著出版をやめた翌年、残務整理をし、
1年の準備期間をおいて93年に岩田書院を設立しました。
たまたま、名著出版の創業社長が亡くなったので、
それを契機に始めました。

でも、そのときには新刊が3点できていました。
『地域民俗論の展開(在庫あり)』『中世的世界から近世的世界へ(品切れ)』
など、やはり歴史民俗系でしたね。

一番楽しかったことですか? 次から次へと淡々と出してきましたからねぇ。
一番苦しかったこと? 体力がしんどい。以前なら、こんなことなかったなぁ」

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一穂社の文庫本・オンデマンド

Dvc40050_2 今回の出版者列伝は、前回の萬洲さんから紹介していただいた、一穂社(いっすいしゃ)の古谷社長にお願いしました。

――古谷さん、新しいオンデマンド印刷・製本システムを作られたそうですね。印刷から製本まで内製化してしまうというシステムだと聞いています。


 そうですね。
 印刷から製本まで社内で仕上げ、独自の料金体系を構築しないとオンデマンドは対応出来ません。
このシステムなら、かなりの低コストで、流れ作業的に書籍を印刷・製本してくれます。

 絶版本の復刊シリーズを軌道に乗せるために、まだ残っているのは、版元(出版社)との交渉です。うちで考えているのは、旧字本を新字本で出す文庫本の復刊ですが。


 オンデマンド本は、本を作ってくれと要求する側(版元)に、オンデマンドの技術革新をどこまで説明できるか、そこが交渉上のポイン
トになります。


 現在の日本の印刷・製本技術は最高水準であり、また長い歴史も持っております。
版元は、大量生産されるその最高レベルの新刊書籍と同じレベルを、オンデマンド本に要求してきます。

 とくに隔たりが大きいのは、カラーのカバーです。
もちろん技術的には問題ないのですが、問題はコストです。どんなに安く「書籍自体」を作っても、カバーが高くてはね。

 発想の転換さえすれば、話は簡単なのですがね。どうも原本通りという要求が多くて。


 弊社では単に原本をスキャンするだけではなく、旧字体の本を新字体に変換して、新組にする技術を持っています。
但し、日本語の文字組版は、世界一難しい組版ですから、全てを自動化することはできません。読み込んだ原本データから誤字を除く作業、つまり校正の課題が残ります。


 現在、日本の出版界の常識では、誤字は1字/1万字。1冊20万字程度とすると、1冊のなかに誤字は20字程度あることになります。


 絶版本の復刊の場合、OCRで読み込んだ後、1字/1万字レベルに近づけていくわけです。が、今の所、その10分の1の1千字に1~2字程度がやっとのレベルです。


 旧字を新字に変換する部分は、100%OK。そのシステムは作りました。あとはOCRの読み込みの部分なのです。


 1千字に1字程度の誤読率OCR装置は、現在既にありますので、状態のいい本のスキャンはうまくいきますね。


 テキストデータに変換するのは、校正をしないといけませんので少し手間がかかりますが、検索ができること等を考えると、将来的に見れば大きな資産になるでしょう。


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目指すのは「日本文化の在庫管理」


Dvc302262  ブログ「出版者列伝」の第二回では、長く晶文社の営業をやっていらっしゃった萬洲(ばんしゅう)さんにお話を伺いました。
        *      *
――萬洲さん、最初から出版社を目指していたんですか?

 いやいや、高校時代は工業高校。

モールス信号を打って船乗りになりたい、というような考えだったね。

電気大の助手になったりしたけど、結局浪人して早稲田の独文科に入った。

出版社を目指す、という気持ちはまったくなかったね。

 でも、大学に入って初めて口をきいた相手が長田弘(おさだひろし)だった。

詩人のね。そこらへんから縁がつながっていたかもしれない。

 今となってはもう古い話ですが、60年安保の少し前に、早大の文学部独文科に入学したわけです。

入学したてで右も左も分からないときに、「萬洲」という名前が目だってクラス委員になった。

そうすると自治会に出るし、そこにはやっぱりすごい人たちがいて「日比谷公会堂にデモをかけるぞ」と言われては行くようになりました。

 デモの先頭が竹ざおを持って進んでいくんだけど、突然「回れ右!」で私が最前列になったりもしましたね(笑)。

 新宿を封鎖しよう、ということで、ピケをはり新宿の改札を封鎖。乗降客が通れないようにするわけです。

テレビ局のカメラが来ていて、「友達の家に行く」と言っておいた父親にばれたこともありました。「お前、映っていたぞ」って。

 1960年、東大の女子学生樺美智子さんが死んだ日もその近くの国会周辺でデモをやっていました。

 大学を出ると、美術出版で編集をしていた長田弘に引っ張られました。

いろいろありましたが、(66年の)全日空羽田沖墜落事故で大下社長が亡くなった。

出版界の22人が犠牲になり、講談社の野間社長が葬儀委員長をやったりしました。

 私を美術出版に引っ張った長田弘が晶文社に移ると、私も創業4年目の晶文社に引っ張られた。

長田は、午前中は自分のやりたいこと、午後から出社、という契約を結んで入ったんですが、まだ30冊しか出していない出版社だったんです。

 ドイツの詩人・エンツェンスベルガーの「政治と犯罪」が唯一売れていた。

その少し後に、ポールニザン、植草甚一の本や木島始が訳した「ジャズ・カントリー」が続いていきますが。

 やがて晶文社では学参ものが出て売れるようになった。

中村社長が、独自のグラフを作り、学校の偏差値と受験生の偏差値を比べてすぐ分かるグラフを作った。

これが見やすかった。これもあって「学校案内」が売れるようになりました。

 なぜ出版業界なんかに行ったか?

 当時出版界は成長産業だったんですよ。人材が集まった。

東大出が国家公務員上級をふって、わざわざ朝日新聞社に入ったりしていました。

 晶文社も、募集すれば500人くらいは集まったんです。

晶文社の本を読んで感想を書け、なんてやっていたわけです。

日本が右肩上がりの時代だった。

 同じビルの隣の隣に小田実のべ平連(ベトナムに平和を!市民連合)が入っていました。そのべ平連に右翼が突入してきたことがある。

 晶文社はポール・ニザン(フランスの作家、共産党員。指導的知識人の一人)の「アデン・アラビア」(安保の必読本)を翻訳・出版していたので右翼が晶文社にも来るかもしれないと心配しましたが、彼らはそんなものは読まないようで、来なかった。べ平連だけに突入。胸を撫で下ろしたこともあります。

晶文社の中村社長は、なんというか少しヤクザみたいな感じの人。

学生時代に「学生達に差し入れ」してくれた筑摩書房の社長に憧れて、筑摩書房を目標に作られた出版社、それが晶文社です。

 私の仕事の話を少ししましょう。

90年代前半に、バーゲン本のセールを初めて行いました。

今でこそブックフェアなどで本のバーゲンセールをやっていますが、当時は本を必ず定価で売る「再販制度」に反するといって、多くの出版社が断ってきました。

 結局、勁草書房や草思社などの11社が参加してくれました。

場所もいろいろなところに断られましたが、堤さんがいるリブロが開催場所を引き受けてくれた。

リブロは今泉棚という、人文科学のぴか一の本棚もある書店でした。

いろいろありましたが、これが、本のバーゲンセールのはじめです。

この時代の一番の自慢は、倉庫を作ったことです。

晶文社時代、いつも倉庫を追い出されていました。昔は。

倉庫代を安くお願いするので、倉庫会社が2、3年すると赤字になってくる。

晶文社とはもうやりたくない、赤字だから出て行ってくれと3回追い出された。

で、社長に言われて、ついに自分で倉庫を作ったんです。追い出されないように。

東武東上線沿線には、いろいろな業種の倉庫があるんですが、他の業種の倉庫業で、出版業にも進出したがっているところがありました。

その情報を得て、もしかしたら相談に乗ってくれるかもしれないと思い、いや乗ってくれると信じて、権利金、敷金、保証金なしで、倉庫を作ってくれと頼みにいったんです。倉庫業者に。

とんでもない要求にもかかわらず、志木に倉庫を建ててもらった。

400坪の2階建てで、そのうちの半分を晶文社で使わせてもらった。

これ以後、倉庫を追い出されることはなくなりました。

 晶文社を退職してからは、DPS(デジタルパブリッシングサービ)で絶版本の復刊の営業をしてきました。

絶版になった本を、丸ごとスキャンしてデータ化し、需要に応じて1冊ずつ印刷・製本する会社です。

 でも、5千部とか1万部刷って在庫を持つ、という出版社の体質が変わらなくてね。

その中でも朝倉書店は理解が早い。

社長自身が、オンデマンドのよさが分かっている。

弘文堂や有斐閣も分かってくれる。

でも「在庫はデータで持つ」という考え方が、ふつうの出版社には分からない。

 私がこう言うのは、在庫を増やしてやってきた自分の失敗からです。

どうしたら不良在庫を避けられるのか。在庫回転率を上げられるのか。

もちろん全部をオンデマンドにする必要はなく、

不必要に製本している、全体の4割程度をオンデマンド化できれば、と思っています。

 もうしばらくしたら、文庫をやりたい、と思っています。

文庫は品切れが多い。経済原則だけでやっているからですが、でも、小さい出版社でも、やり方によっては文庫本を作れるということを証明したい。

夢ですが、そんな風に思っています。

        *      *

 「書肆アクセスという本屋があった――」という本の三原浩良さんという方が書いているページに、

「…そして自然と足はすずらん通りに向き、アクセスに立ち寄る。

 向かいの喫茶店で弓立社の石田さんに偶然に出逢ったのも、晶文社の萬洲さんと雑談していたときだった。神保町界隈は、ちょいと裏通りに入ると…」

とありましたので、萬洲さんに聞いてみると、

「あー、九州の弦書房の三原さんね」。

 その本をくれた岩田書院さんに、萬洲さんのいるDPSが営業に行ったりしているわけですから、

業界っていうのは、そんなもんなんですかね、妙に小さい。

 でも、電子部品業界とか、教育業界とかって、そういう雰囲気はなかったけどなー。

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混沌の海へ―中国的思考の構造(デジタルパブリッシングサービス)
解説★山田慶児■国家近代化の過程で、伝統の核心こそがその国を方向づけるという仮説をもとに、伝統の核心とは何かを、中国を例に論じる。
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